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パラオのペリリュー島で日本軍と米軍の戦跡に触れる

5月の下旬に新婚旅行でパラオへ訪れた私ですが、ペリリュー島の1日観光が個人的にかなり衝撃的でした。戦争を初めて身近に感じ、ゾクゾクしたというか何というか。表現が難しいのですが、今までに味わったことのない空気がそこには漂っていました。

ガイドをしてくれたのは元陸上自衛隊に属していた方で、ツアーも含めペリリュー島を100回以上も訪れているとのこと。非常に詳しい説明をして下さったので、最初から最後まで全く飽きることがありませんでした。

私がペリリュー島で目の当たりにした光景を少しでもみなさんと共有したいと思いましたので、かなり長い記事ではありますが写真もたくさん掲載しましたので、ぜひともご一読ください。


ペリリュー島ってどこにあるの?

ペリリュー島の場所をご紹介する前に、まずはパラオの場所を押さえておきましょう。

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すごく小さな国なのでこの地図にははっきりと写っていませんが、矢印の先、丸で囲まれたあたりにパラオ共和国があります。日本との時差はゼロ、真南に飛行機で4時間ほど飛べばそこにはパラオがあります。そして、ペリリュー島はそんなパラオの南の方に位置している島になります。


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こちらがペリリュー島。ちなみに、地図中に「コロール」という地名がついている場所がありますよね?ここがパラオで一番栄えているダウンタウンになります。リゾートホテルはこの周辺に密集している格好となります。なお、コロールからペリリュー島まではボートで1時間ほどかかります。


ペリリュー島って何の島?

ペリリュー島は第二次世界大戦で日本軍とアメリカ軍が激戦を繰り広げた島になります。

今でもその名残りはありますが、ペリリュー島には大戦当時アジアで最大級の飛行場があり、アメリカ軍はこれがどうしても欲しかったのです。なぜかというと、太平洋からどんどん西へ進軍していたアメリカ軍が日本軍からフィリピンの奪還を計画しようとした際、ペリリュー島にあるこの飛行場が最大の軍事拠点として機能すると考えたからです。

改めて地図を見ると、フィリピンの真横にありますよね?すごく良い場所なのです。

日本兵総勢約1万人に対してアメリカ兵総勢4万人以上という、数では圧倒的に日本軍が不利な戦いでしたが、アメリカ軍の上陸から完全制圧まで2ヶ月半かかりました。これは異例の長さらしく、日本軍がかなり粘り強い戦いを見せたとのこと。

アメリカ軍は上陸前に大量の砲弾をペリリュー島へ投じましたが、島中に数々の地下道(洞窟)を掘っていた日本軍はほとんどダメージを受けることなくアメリカ軍を待ち伏せていたみたいです。ちなみに、このアメリカ軍の砲弾攻撃はペリリュー島の地形を変えてしまうほどの威力だったそうです。

アメリカ軍の上陸からたった2日間で見かけ上はペリリュー島のほとんどがアメリカ軍の手に落ちましたが、ここからが長かったのです。島の奥地に潜んでいた日本軍がゲリラ戦(身を潜め、超近距離で攻撃すること)を仕掛け、アメリカ軍を身心共に苦しめていきます。

しかし、最終的には物量の差が大きく起因し、日本軍は力尽きてしまいます。

他にもたくさんの細かい話をガイドの方がして下さりましたが、この一連の戦いが「ペリリューの戦い」と呼ばれているのです。


ペリリュー島までは1時間の美しい景色が広がる

パラオの中心街コロールからボートで1時間程度進むとペリリュー島に到着します。それまでの間は、大変美しい海が広がっていましたので、写真を何枚か載せますね。

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写真の色合いは一切加工してません!笑

すごくないですか?

ここまで綺麗な青は初めて見ました。3枚目の写真はスコールの様子です。


島に入ると一気に雰囲気が変わります

ペリリュー島へ上陸すると、一気に雰囲気が変わります。基本的に一帯がジャングルなのでとても蒸し暑く、外に1分間立っているだけで汗が滝のように額から流れます。冗談抜きでそれぐらい汗をかきます。

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上陸して最初に目に入るのは昔橋があったとされる場所。この辺は浅瀬が続くので、潮が引くとサンゴに覆われた海底が姿を表します。


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そしてすぐ近くにトーチカ!

トーチカとはコンクリート等の丈夫な素材で作る陣地のことで、銃口を突き出せる穴があり、近づいてきた敵を機関銃等で一網打尽にできるのです。海に面した場所や道路沿い等、敵が侵入してくるであろう場所に設置することが多いです。


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ここにもトーチカ。矢印がついている箇所にはすべて銃を突き出すための穴があります。ちなみに、私が立っている側には海があります。


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近くには「千人洞窟」というものがあり、名前の通り1,000人もの人が入れる規模の洞窟です。もちろん日本軍が掘ったものですが、「千人洞窟」という名前は戦後に付けられたそうな。入り口が黒くなっているのは、アメリカ軍の火炎放射器による焦げだそうです。


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食器やビン類はもちろん当時のものです。ビンは実は貴重な武器だったのですが、みなさん何の武器だか分かりますか?そう、火炎瓶なんですね〜。洞窟に侵入してきたアメリカ軍を追い払うために火炎瓶を使っていたそうです。


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こちらは迫撃砲の弾薬箱。迫撃砲はペリリューの戦いでかなり大きな役割を果たしたそうです。日本軍は予めビーチの座標を定め、迫撃砲をいつでも発射できるよう念入りに準備をしていました。アメリカ軍が実際に上陸作戦を敢行した際にも、この迫撃砲がかなり活躍したそうです。

後に登場する博物館には、アメリカ軍が日本軍の迫撃砲を恐れる様子を描いた絵画が展示されていました。


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こちらがその博物館。昔は日本軍の弾薬庫として使われていたので、作りが非常に頑丈です。建物の右上に穴が空いていますが、これはアメリカ軍の砲弾射撃によって開きました。それでもこの建物自体は約90年も前から外装のリフォームがされることなくここに残っているのです。すごいですよね。

アメリカ軍が制圧した後は、その頑丈さから一時的に病院として使われていたそうです。


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こちらは博物館の裏側。


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中に入るとたくさんの資料と共に当時の銃器も展示されていました。70年以上も前の銃がそのままの姿形で保存されていたのには驚きました。


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こちらはその昔、日本軍が作った火力発電所だとか。車内からの撮影だったのでいまいち分かりませんが、この辺からラピュタ感がとても強くなっていきます。


どんどん島の中心へと向かっていきます

島の中心へ向かうにつれ、蒸し暑さは一層強まります。

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車でジャングルの中の小道を進むと、突然海軍司令部の跡地が姿を現します。写真手前が正面玄関になっており、第二次世界大戦当時から建物の側面は手すりがあるだけの吹き抜け構造だったみたいです。何とも趣があります。


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天井にはアメリカ軍の艦砲射撃によって開けられた穴があります。


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今は既に崩れ落ちてしまっていますが、昔は2階部分があったそうです。この写真に写っている扉は結構な厚みがあるのですが、これは通信室や作戦室などに使われたために、機密情報(重要書類)を保護する観点からこのような構造になっているみたいです。この扉の向こう側にある部屋だけはしっかりと壁に囲まれた頑丈な造りになっています。


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こちらは砲弾の痕。生々しいです。


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司令部の中には当時の生活感が伝わってくる部屋もありました。これはまさに便所ですね。


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こちらはお風呂。いつでも出撃できるようにと、忙しい軍人のためにお風呂は立ち湯ができる造りとなっていました。浴槽は結構深めに仕上がっています。


ついに当時の兵器が姿を現します

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こちらは95式軽戦車。実物は思いのほか小さく、よくもまぁこんなものでアメリカ軍に挑んだなというのが率直な感想です。この戦車は名前の通り機動力に重点を置いた軽量型戦車で、本体の鉄板は非常に薄いです。

当時、この軽戦車隊の出動があまりにも遅れてしまい、アメリカ軍の強力な戦車隊に待ち伏せされ全滅してしまったようです。現在は写真に写っている1両のみが何とか島に残っているとのこと。


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そしてお待ちかねの零戦です。

だいぶ腐食が進行していて、よ〜く見ないと何がどこにあるのか分からない状態です。

パラオ政府はこうした野ざらしの遺産を傷付けたり移動することを法律で禁止しているみたいですが、一方で保護する動きはありません。屋根のようなものをかけるだけでも大分変わる気がしますが、それはそれで自然との同化を妨げることになるので難しい問題ですね。


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こちらはアメリカ軍が上陸したといわれるオレンジビーチ。「オレンジ」の由来としては「血に染まった赤い海」など諸説あるみたいですが、ガイドの方が言うにはアメリカ軍のコードネームが由来しているんだとか。各ビーチに戦略的コードネームを色分けして付けているので、他のビーチには「スカーレット」といったように別の名前が付けられているのです。

実は日本軍も同じことをしており、木の名前を各ビーチに付けていたみたいですよ。このオレンジビーチはちなみに「黒松」らしいです。

波が無く、まるでウユニ塩湖を見ているかのような絶景でした。ここで日本軍の迫撃砲によってたくさんのアメリカ軍の死者が出ているなんて想像もできません。


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こちらは2年前の2015年に天皇皇后両陛下がペリリュー島をご訪問された際に実際に立ち寄った休憩所です。開けた場所にあり、ツアー当日はこの近くにある小屋のような建物で昼食を頂きました。


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天皇皇后陛下も訪れた慰霊碑です。どんな慰霊碑にも意味があるみたいです。この慰霊碑に関して言えば、まず上の長方形型ブロックの真ん中に閉じた瞳があります。そして写真は撮れませんでしたが、慰霊碑の中を覗くと地面に雲と矢印の絵が刻まれています。矢印は真北を指しています。

これは、ペリリューの戦いで戦死した同志の魂が真北に位置する日本へ雲と一緒にゆっくりと間違いなく戻れるように。そして、それを優しく見守っていますよ、という意味が込められているとのことです。深いですね。


ツアーもいよいよ終盤、終焉の地へ向かいます

慰霊碑に向かって合唱したのち、最後の大物を見に行きました。

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これはアメリカ軍の水陸両用戦車。日本軍の軽戦車と比較してもかなりデカイです。


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頭に目を向けると、アメリカ軍の象徴である星のマークがまだ残っていることが確認できます。


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こちらは洞窟から海へ狙いを定めている日本軍の大砲。事前の座標登録も虚しく、結局この大砲がペリリューの戦いで使用されることはなかったみたいです。


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しばらく進むと、ペリリューの戦いで戦死した方々を祀っているペリリュー神社にたどり着きます。これはそこに置かれているものになりますが、アメリカ軍太平洋艦隊司令長官だったニミッツという人物が残した言葉とされています。

簡単に和訳すると、「諸外国から訪れしすべての旅人へ この島を守り抜くために戦死した日本の軍人は大変勇敢で強い愛国心を持っていた」と書かれています。

アメリカ軍も敬意を払うほどでした。


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ジャングルの中をまたしばらく歩くと、ついにここへたどり着きます。終焉の地です。ここでは守備隊を仕切っていた中川大佐が最後に自決をした場所だとされています。中川大佐が自決した後、残った兵士50人あまりで当時禁止されていたバンザイ突撃を敢行し、日本軍は全滅したと言われています。

バンザイ突撃を初めて聞いたという方のためにこちらを用意しました。

この慰霊碑のすぐ左横に洞窟があり、その中で中川大佐は自決したみたいです。かなり重々しい空気が流れていましたし、洞窟の入り口に御札のようなものがあったので写真を撮ることは控えました。中ではコウモリが飛んでいる様子も確認できました。


ジャングルの中にあった恐ろしい印

さて、終焉の地へ向かう途中のジャングルの中で何やら怪しい紅白の印を複数見かけました。

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分かりますでしょうか?矢印が指す先にその紅白の印(木株)があります。


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実はペリリューでは不発弾の処理が全然終わっておらず、今でもオーストラリアのチームが日々活動を展開しているみたいです。この看板はジャングルの入り口に堂々と立てられていました。


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紅白の印が意味するもの、それは不発弾の「除去済み区」と「未処理区」の区別のためだったのです。木株の真ん中から赤い側が未処理区=危険ゾーン、白い側が除去済み区=安全ゾーンです。

赤い側は処理が終わっていないので爆発しても責任は取りませんよ、ということになります。

恐ろしい話です。


ペリリュー島ツアーを終えて

今回のツアーは新婚旅行に相応しくなかったのかもしれませんが、夫婦共々たくさん考えさせられました。結果的には参加して本当に良かったと思っています。

政府が憲法9条の改憲で相当揉めていますが、日本は平和ボケしすぎです。平和ボケしすぎていたので、ペリリュー島で目の当たりにした数々の戦跡やガイドの方が教えてくださった70年以上も前の戦いの詳細が非常に衝撃的でした。初めて戦争を身近に感じるきっかけになったことは間違いありません。

日本の戦争は悪とされています。満州事変から始まり、東南アジアへの侵略。そして真珠湾の奇襲がきっかけで始まった太平洋戦争など、確かにどれも日本の哀れな野望で満ち溢れた行動だと捉えざるを得ません。

しかし、1つ1つの戦いにはドラマがあり、その中に実は日本人らしさ・日本人の良さを感じ取れる部分もあったりするのです。

例えばですが、ペリリューの戦いで亡くなった島の住民はゼロでした。これは嘘偽りなく事実らしいです。守備隊長だった中川大佐がペリリューの戦いに備え、島人を犠牲にしてはならないとの想いから事前に住民を本島の方へ強制疎開させていたのです。

戦後、ペリリュー島の住民が島へ戻り、日本軍の亡骸を見て涙に暮れたそうです。それほどペリリュー島の住民たちは日本軍を慕っていたのです。

私は決して戦争推進派でも擁護派でもないので誤解しないで頂きたいのですが、こうしたドラマを聞くと胸が詰まる思いになります。


最後までお読み頂きありがとうございました。


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2 件のコメント

ゆうちん 様からのコメント... ""
はじめまして。ペリリュー島のお写真拝見いたしました。先の大戦の事実の遺産が残っているのを拝見できて感慨を新たにしました。と言いますのも半世紀前のこと、学生時分に偶然「天皇の島ペリリュー島」新島譲の単行本に出会い、夏休みの読書感想文を書いたことがありまして、ペリリュー島はわたしの中に重く残るものでした。ありがとうございました。
2017.06.08 22:54 | URL | #- [edit]
もっそ 様からのコメント... "*ゆうちんさん"
コメントありがとうございます。
この記事をご覧頂き少しでも心を動かされたのであれば私としては大変嬉しく思います。
ガイドの方も仰っていました。ペリリュー島は別名「天皇島」だと。
もしまだでしたら、ぜひ一度訪れることをお勧め致します。
2017.06.10 11:24 | URL | #- [edit]

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